アメコミを読みたいらいとか

MARVELやSTAR WARSなどのアメコミを、ネタバレ有りで感想を書くブログです。更新頻度は気分次第。他にも読みたいものを気まぐれに

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GUARDIANS OF THE GALAXY ORIGINAL SIN(#18〜#20)

様々なヒーローの秘密を暴いてきた大型クロスオーバー、オリジナルシン。当ブログでもハルク誕生に関わったトニーや封印された第10の世界を紹介してきました。そしてオリジナルシンの余波は深宇宙のガーディアンズ・オブ・ギャラクシーまで及びます。クィルの独白で進む今作、一体どのような秘密が明かされるのでしょうか?
f:id:ELEKINGPIT:20211207162758j:imageGUARDIAN OF THE GALAXY#18

 

日本語版関連コミック

 

〈あらすじ〉

ある日ピーター・クィルを拘束したガモーラは、クィルの胸に隠された秘密を暴こうと尋問する。それはかつて、クィルとノヴァがサノスを封印するために行われた戦いの真実だった。

 

〈キャンサーバースの戦い〉

ガモーラには気がかりなことがありました。かつてガーディアンズが結成される前、クィルはノヴァ(リチャード・ライダー)と共にサノスを封印するため、キャンサーバースと呼ばれる世界へ共に身を投げたのでした。しかしクィルもサノスも現在では生還しこの宇宙で暮らしています。その戦いで死亡したと思われていたドラックスも当然生きています。ではノヴァは? 唯一未だ帰還していないノヴァの身に何があったのでしょうか? ガモーラはクィルを拘束。尋問してでも真実を聞き出そうとします。観念したクィルはガモーラにその日の真実を語り始める形で本作はスタートしました。
f:id:ELEKINGPIT:20211208011951j:imageクィルが語ったキャンサーバースの戦い。知られざる真実が明かされる。

 

キャンサーバースにサノスを封印したノヴァとクィル。しかし戦いは終わってはいませんでした。コズミックキューブを使って元の世界へ戻ろうとするサノスに、クィルとノヴァはこの世界でも共同戦線を張ります。コズミックキューブをクィルが手に入れたことでサノス死を願い、決着が着いた……そう思われますが、キャンサーバースは特別な世界。なんとキャンサーバース出身以外の者はこの世界で死ぬことが出来ないのです。この法則のおかげで死亡していたと思われていたドラックスも復活。サノスも復活し、終わらない戦いが始まりました。さらにコズミックキューブを狙いキャンサーバース版アベンジャーズことリベンジャーズも乱入。戦いは混沌となっていきます。
f:id:ELEKINGPIT:20211208020737j:imageサノス達の前に現れたリベンジャーズ。コズミックキューブを利用しようも乱入する。

リベンジャーズの強さは我々がよく知るアベンジャーズと大差ない強さ。クィルのコズミックキューブは瞬く間に奪われ、一時退却せざるを得ませんでした。あわよくばサノスとリベンジャーズが相打ちすることを望みますが、そう簡単にはいきません。なんとクィル達が逃れている間にサノスがリベンジャーズを全滅させ、コズミックキューブを手に入れていました。恐らくサノスは自分1人だけキャンサーバースから帰還することを願うはず。そうはさせまいと、ノヴァは決死の抵抗でキューブを取り返してみせます。キャンサーバースから帰還するには、サノスほどの強靭な肉体とコズミックキューブのような強力なパワーがあってはじめて可能なこと。しかしノヴァやクィルにはそのような強靭な肉体はありません。そこでノヴァは、クィルとドラックスを元の世界へ戻すために自らのパワー全てを捧げることにしました。恐らくサノスも脱出できるでしょうが、ここでクィル達が死ぬよりは余程マシとの判断でした。
f:id:ELEKINGPIT:20211208022047j:imageキャンサーバースからの脱出路を作るノヴァ。自らの命に変えて仲間を救った。

 

〈自己犠牲のヒーロー〉

ヒーローものには「自己犠牲」と呼ばれる行いがほぼ王道として扱われてきました。自らの命を犠牲にして他者を守ることです。確かにそれは美しいものでしょう。そこには利己的な意思は一切なく、ただ他者のために全てを捧げる理想のヒーローの姿です。しかしそれは本当に理想なのでしょうか? 

今作では自己犠牲によって死んだヒーローと残された人々という姿が描かれました。当時ノヴァと親しくしていたガモーラ、固い絆で結ばれたクィルやドラックス。ノヴァの最期を知ったガモーラは涙を流すほどでした。ノヴァが自己犠牲を行った結果、仲間に大きな心の傷と後悔を背負わせることとなったのです。さらにいえばサノスも当然元の世界で生きており、ノヴァの自己犠牲に意味はあったのかと考えてしまうのもまた事実。長年ヒーロー最上の美徳として扱われていた自己犠牲がもたらしたのは、理想とは最もかけはなれた現実でした。

多くのヒーローは、人々は決して1人だけで生きているとは言えません。親友や家族など、様々な人との繋がりの間に生きています。自己犠牲とはそんな人々が本人を慕う気持ちや絆すら犠牲にしてしまう、というのが本作で示されたことでしょう。自分が死んだ後に悲しむ人が1人でもいるなら、犠牲になるのは自分だけではないのです。