1939年、ジョン・スタインベックが発表した怒りの葡萄。そこに描かれていたのは、現代にさえ通じうる沸々とした社会への怒りでした。持つ者と持たざる者、分断、悲劇の中には私達にも覚えのある光景が描かれているでしょう。今だからこそこの名著は必読の一冊です。

〈あらすじ〉
本作はアメリカ中西部で小作農を営むジョード一家を中心に、貧困にあえぐ市井の人々を描き出した作品です。世界恐慌が吹きすさぶ中、連日の砂嵐で稼ぎが成り立たなくなった一家は、カリフォルニアで求人募集中という広告を頼りに、一家総出で大陸を横断する旅に出ます。しかし苦難の末たどり着いたカリフォルニアは、ジョード一家と同じ考えで集まった人々であふれかえり、労働力過剰に陥る最中でした。ジョード一家の状況とより俯瞰した目線で貧民を描く章が交互に挟まれることで、本作は一家の苦難のみにとどまらず、アメリカ社会への告発文とさえ読み取れる構成となりました。
〈怒りの果実が実る時〉
そんな怒りの葡萄は、聖書的な要素を含むことでより共感を得やすい物語となっていました。一家が先祖代々の土地を追われ豊穣を約束された地カリフォルニアへ旅する様は、旧約聖書の出エジプト記を借りたストーリーラインであることは既に多くが指摘していることでしょう。また、元説教師のジム・ケーシーは偶然か意図的か、イエス・キリストと同じイニシャルを持っています。このジム・ケーシーという存在こそ怒りの葡萄をジョード一家の物語に留めない白眉でしょう。ケーシーは、ジョード一家の故郷で多く洗礼を授けた説教師でしたが、自身が話す説教文句を信じることができずその役割を降りた人物です。旅の中で延々と思考したケーシーは、やがて1つの信念に辿り着きます。そしてカリフォルニアでは言い値で賃金が下がり続ける重労働に、ストライキを組織しました。しかしストライキの中心人物として危険視されていたケーシーは、雇われ警備員にツルハシで殴打され殺されてしまいます。説教師を辞めた男がイエスと同じく理不尽に声をあげ、イエスと同じく権力者に殺される。この皮肉こそが当時のアメリカ社会を表しているのです。そしてケーシーの思想は死後、主人公トム・ジョードへ受け継がれました。ケーシーよりもさらに大規模なストライキを起こそうと考えるトム。怒りという名の果実は房に実を宿らせ、熟しつつあるという象徴がケーシーなのです。
〈今だからこそ〉
世界恐慌時代のアメリカ社会を告発した怒りの葡萄ですが、現代人も共感するところは多いはず。本作には2種類の人間が登場します。即ち、持つ者と持たざる者。この分断こそが本作の表す告発なのです。しかしスタインベックは2種類の人間を、善悪や強弱のようにくっきりと区別して描いてはいません。どちら側に立つ人間も、反対の立場へ変わりうる危うさを秘めていました。ジョード一家が故郷を追われるきっかけはトラクターでしたが、この運転手も家族を養うため仕事を選んでいられないと友人の家を潰します。貧民キャンプに住む人々を「オーキー」と呼び差別する地元住民も、治安の悪化や失業を恐れての行動でした。そして持たざる者として描かれるトムも、道路を横断しようと必死にもがくか目を拾い上げて遊ぶ様に象徴されています。持つ者と持たざる者、システムに狂わされるその様は、姿を変えて現代を生きる我々と重なる場面が多いはず。団結を恐れストライキを徹底的に潰す富豪たち、仕事を求める貧困者へ角材で迎える住民たち、貧民キャンプで食べ物を分け与える貧民たち、水面下で団結し理不尽へ声をあげる労働者たち。私たちは時に自分の生活を守るため、未知の存在を必要以上におそれ、迫害してしまいます。しかし私達には理不尽な困難へ立ち向かえる団結があるはずです。本作は死産した母が今にも餓死しつつある老人へ母乳を与えて幕を閉じます。このラストシーンはスタインベックから読者への問いかけのように感じました。寒い時代だからこそ今でもその問いかけは生き続けています。苦しい時こそ、同じ苦しみを持つ人と肩を抱き合う。ケーシーが示し、トムが受け継ぎ、ラストではさらにその先を見せた怒りの葡萄。怒りは実を結び熟す機会を待つ。この時代にこそぴったりな名著です。
〈余談:映画の感想〉
怒りの葡萄は小説が刊行された翌年の1940年に映画化、監督がアカデミー賞を受賞する名画となりました。ここでは映画を鑑賞した所感を余談として置いていこうと思います。
映画版はスタインベックの意図した「社会への告発」という要素が縮小され、代わりにジョード一家の苦難の旅という側面が拡大していました。苦難を前にばらばらになる家族の絆、それをつなぎとめる母の覚悟。物語の大筋は再現しながらも、ジョード一家にふりかかる理不尽に立ち向かう様にフォーカスされていました。スタインベックの意図から外れた物語に変えられ、ラストシーンは映画オリジナルとなってしまいましたが、団結の物語であることに変わりはありません。自助と共助で生き抜く逞しさがより強く押し出され、小説版よりも娯楽色の強い作品ですが、映像として浮かび上がる苦しみが遠く離れた私たちの共感を誘います。一見すると「どんな理不尽も強い絆で乗り越えよう」というテーマが汲み取れてしまいますが、社会への怒りというメッセージは残されています。別物として見る向きも強い映画版ですが、小説の内容を忠実に再現した箇所も多く、より良い味わいを楽しめるでしょう。


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