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MARVELやSTAR WARSなどのアメコミを、ネタバレ有りで感想を書くブログです。更新頻度は気分次第。他にも読みたいものを気まぐれに

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CAPTAIN MARVEL #7〜#8

人々の希望となることこそが「キャプテン・マーベル」だと知ったキャロル。前回からその戦いは宇宙へと部隊を移しました。ガーディアンズにも参加し、ナウラニア人のティクと行動を共にすることに。しかしそこで、キャロルは思わぬ敵と遭遇します。
f:id:ELEKINGPIT:20211218073638j:imageCAPTAIN MARVEL #7

 

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〈あらすじ〉

ナウラニア人のティクと共に宇宙を旅するキャロルは、新たなメンバーとして加わったガーディアンズとの合流を急いでいた。道中ロケットと再会するが、キャロルの飼い猫チューバッカとの仲は険悪。さらに宇宙船が巨大な戦艦に遭遇し……?

 

〈絶滅種の生き残り〉

キャロルの飼い猫チューバッカは、日々の戦いに疲れるキャロルを癒す唯一の存在です。その名の由来はスターウォーズハン・ソロの相棒として活躍するチューバッカその人。自分の「推し」の名と同じにしただけあってか、その溺愛っぷりはこちらが頬を緩めてしまいそうになるほどです。宇宙へ旅出ると決意した時は地球に置いていこうとしますが、なんとチューバッカが宇宙船に忍び込み流石のキャロルも根負け。種を超えた絆を持つ最高のパートナーと言っていいでしょう。そんなチューバッカが合流したロケットへ「化け物」と言われては激怒するのも無理はないでしょう。ロケットに言わせればチューバッカは絶滅したはずの超危険生物フラーケンの生き残りだそうですが、どこからどう見ても猫そのもの。そうして2人が言い争いをしていると、宇宙船が狂ったように警報を鳴らします。どうやら何者かに捕まったようです。
f:id:ELEKINGPIT:20211228211143j:imageキャロルの宇宙船を捕らえた物体。これが艦隊なのか、それとも生物なのかも分からない。

 

キャロルらを捕らえた者は、自らを「フラーケンを殺す者」であると明かしました。どうやらロケットの言う通り、チューバッカはフラーケンと呼ばれる怪物の生き残りだったようです。さらに敵は「10秒以内にフラーケンを引き渡さなければ船ごと撃墜する」と脅迫。既に船体を捕えられているため、まさに喉元へ刃を突き立てられた状態でしょう。しかしチューバッカとは切っても切れない絆があります。引き渡すなんて選択肢は考えられません。そこでキャロルの船体に接続されたロケットの宇宙船で脱出する策を思いつきますが、チューバッカの様子を見に行ったティクが驚くべき光景を目にしました。
f:id:ELEKINGPIT:20211229112844j:imageチューバッカの部屋には孵化寸前の大量の卵が。母となったチューバッカはより攻撃的になり……?

 

フラーケンを狙う敵を苦戦しながらも倒したキャロルは、銀河でも有名な動物愛護団体を訪れます。100匹は優に超えるチューバッカの子供たちと共に旅をする余裕はなく、また親子を離れ離れにするわけにもいかないと考え、チューバッカの家族全員の保護を頼んだのです。そもそもフラーケンは絶滅したと考えられていた生物です。まだまだわからないことが多いものの、これがきっかけで新たな研究が進むかもしれません。事実、チューバッカにはテレポートのような能力を宿していることが分かりました。キャロルはその別れを惜しんでいましたが、これが永遠の別れではないと自分に言い聞かせて施設を後にします。しかしチューバッカにそんなつもりはなかったようです。重たい空気で船に乗り込んだキャロルの背後には、なんとチューバッカがいるではありませんか。
f:id:ELEKINGPIT:20211229120756j:image「とんでもない母親だね」軽口を叩くキャロルとすまし顔のチューバッカ。宇宙の果てでも2人の友情は変わらない。

 

〈母親の役目〉

100匹以上いる自分の子どもよりキャロルとの宇宙旅行を選んだチューバッカ。しかしキャロルの反応は、決して子どもと離れ離れになったことを非難するものではありませんでした。これが恐らく40年ほど前の作品なら全く別の方向へ物語が進んでいたことでしょう。たった2話の短編ながら、ケリースーデコニック氏が伝えたかったこととはなんでしょうか?

「絆」とは、輝かしく尊い仲を表す眩しい言葉だと認識する人は多いでしょう。実際、現在ではそのような文脈で使われる言葉です。しかし同時に、これを他人に強制してしまうと恐ろしい言葉に様変わりしてしまいます。「君たちには切っても切れない絆があるはずだ」とたくさんの人から言われては、それは足枷になりかねないのです。今回チューバッカが取った選択は、恐らく「母親ならば子どもといるべき」という絆の足枷を断ち切る意味があったのでしょう。それは決して子どもが足枷でしか無かったという事ではありませんが、親にも親友か子どもか、という選択肢を持ったというのはケリースーデコニック氏は大きな意味を与えたのでしょう。それはつまり、親は子に、子は親に縛られ過ぎないという自由なのです。