アメコミを読みたいらいとか

MARVELやSTAR WARSなどのアメコミを、ネタバレ有りで感想を書くブログです。更新頻度は気分次第。他にも読みたいものを気まぐれに

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CAPTAIN AMERICA MAN&WOLF

80年もの歴史を持つマーベルコミックは、時に私たちの予想を斜め上に行く物語も存在します。CAPTAIN AMERICA MAN&WOLFもその1つ。タイトルや表紙絵の通り、なんとキャプテン・アメリカ人狼に変身するというストーリーです。懐の深いアメリカンヒーローコミックならではな本作ですが、タイトルやビジュアルありきと侮ってはなりません。本作にはキャップの、そして本作だけの魅力が十二分に発揮されているのですから。
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〈あらすじ〉

満月の夜。森をさまよう人の耳に、恐るべき気配が迫っていた。鋭い爪と牙、突き刺すような眼光、この世のものとは思えぬ異形な姿……人狼が現れたのだ。誰にも届かない遠思われていた悲鳴はやがてキャップの元へ。しかしこの事件の裏には、人間社会をも揺るがす陰謀が隠されていた。

 

〈月明かりが照らすもの〉

ある日、いつもの様に訓練に勤しむキャップへある報せが届きます。人狼による殺人事件。被害者の傷の特徴や周囲の足跡から、人狼の起こした事件であるとしてキャップにまで伝えれたのです。確かに獰猛な人狼ならば放っておくわけにはいきません。キャップは一時的にナターシャへアベンジャーズの指揮権を譲り、事件の調査へと乗り出します。まずは元々この世界に住む人狼へ話を聞くべきでしょう。キャップは人間を人狼化させる魔石ムーン・ジェムと、それによって人狼となったジョン・ジェイムソンを訪ねます。ジョンはスパイダーマンの名物キャラJJJの子どもで、パイロットとしても活躍していました。ところがなんとどちらも行方不明だったのです。この事件には裏がある。そう確信したキャップは、オカルトの専門家に捜査協力を求めます。ドクター・ドルイドです。ドルイド教の信奉者でもあるドクター・ドルイドは、神秘的な魔術を駆使する戦士。アベンジャーズに所属していた過去もあります。ドルイドは今でもその頃を誇りに思っているようで、二言目には捜査協力が決まっていました。現場100回という言葉があるように、2人はまず殺人現場へ向かいます。新たな証拠があるか調べ直すためです。その時です。人狼がキャップらを襲撃したのは。更にその背後には多くの人狼を従える凶戦士までいるではありませんか。
f:id:ELEKINGPIT:20221030005506j:image人狼を痛みで従わせる正体不明の人物。この事件には裏がある……?

 

銃を使うことをも厭わないこの敵をキャップは猛追しますが、すんでのところで捕り逃してしまいます。殺人現場はさっきのゴタゴタで荒らされ、唯一の手がかりであろう正体不明の敵も逃し、何の成果もなかった……かに思われました。しかしドクター・ドルイドが敵の逃げ去る方向から行き先を推測していました。それによると、敵はスタークスボロと呼ばれる町へ向かったと考えられます。2人は早速寂れたスタークスボロへ向かいます。月光が照らす町を歩いていると、突如大量の人狼が襲いかかってきました。どうやらドクター・ドルイドの推測は間違っていなかったようです。とはいえ膨大な数の人狼全員と相手するわけにはいきません。これまでの人狼は暗い夜にのみ現れる。その情報を頼りに2人は夜明け身を隠し、翌朝から調査を再開することに。ドクター・ドルイドはこの町の住人のほとんどが人狼かもしれないと警戒を緩めません。その推測は、最悪の形で証明されました。キャップを凶暴化したウルヴァリンが襲いかかったのです。
f:id:ELEKINGPIT:20221031013341j:image猛獣のようにキャップへ襲いかかるウルヴァリン。そのパワーは普段よりも強化されていた。

 

実はウルヴァリンも同じく人狼による殺人事件を追っていました。そして一足先にスタークスボロまでたどり着いていたのです。しかし人狼の群れには百戦錬磨のウルヴァリンも敵わず捉えられ、敵の首魁ドレッドムンドによって洗脳されてしまいました。バーサーカー状態のウルヴァリンは平常時よりも数段強くなっており、キャップに反撃の隙をも与えません。ついにはキャップをも倒してしまいました。ナイトシェードと呼ばれる敵はこれを好機と捉えます。ウルヴァリンを大人しくさせた後、キャップを実験台へと連れていくことに。一方、ウルヴァリンに勝てないと悟ったドクター・ドルイドはナイトシェードを尾行し敵の計画を突き止めようと動きます。敵の根城に潜入したドルイドは、早速月の魔石ムーン・ジェムを発見。更に人間を人狼化させる魔術の記録もいくつか見つかりました。どうやら町の住人は敵の手で人狼にさせられたようです。より多くの手がかりを探そうとした瞬間、背後に強烈な気配を察知しました。敵の首魁ドレッドムンドです。ドクター・ドルイドと同じく魔術の心得があるドレッドムンドは思念波で攻撃を開始。たまらずドルイドも思念波を放ちますが、その差は歴然でした。
f:id:ELEKINGPIT:20221031015704j:image思念波の打ち合いに敗北するドクター・ドルイド。敵は想像を超える強さだった。

同刻、キャップを捕らえたムーンシェードはほくそ笑んでいました。元々人狼だったジャック・ラッセルを捕らえ、その遺伝子を元に作られた人狼化血清をキャップへ投与すれば……きっとドレッドムンドも喜ぶに違いない。ウルヴァリンの時は驚異的な再生能力で血清が中和されてしまったが、キャップならば人狼にし手駒にできよう。ムーンシェードの予想は2つの意味で裏切られます。元々投与されていた超人血清と人狼化血清が共鳴しあい、人狼キャップはそれまでのどの人狼よりも強い存在になっていました。しかし超人血清の影響か洗脳の影響を受けず、なんと自らの意思で動き始めたではありませんか。とはいえ人狼化しさえすれば知能は著しく低下しているはず。ムーンシェードは言葉巧みに人狼キャップを誘導し、地下牢へ連れていくことに成功します。思考が上手く回らず、言葉も発せないことに苦悩する人狼キャップ。今の状況を把握する間もなく地下牢へと入れられてしまいました。しかしそこには思わぬ味方が。人狼化する能力を持ったミュータント、ウルフスベーンです。
f:id:ELEKINGPIT:20221031021651j:image地下牢に捕えられていたXファクターのウルフスベーン。強力すぎる味方の登場に、人狼キャップも奮い立つ。

 

ウルフスベーンの教えである程度のコミュニケーションが取れるようになった人狼キャップは、地下牢の人狼達を従え脱出に成功。このままムーンシェード、ドレッドムンドへ反逆しようと進撃します。一方、ドレッドムンドは町の住人を集め「血の儀式」を行おうとしていました。磔にしたドクタードルイドの足元に置かれたムーンジェムを満足そうに眺めると、手元の短剣をスっと取り出します。キャップ達が現れたのは、ドルイドの喉元に刃を当てる直前でした。洗脳された人狼達でキャップを迎撃させたドレッドムンドは儀式の続きを始めます。キャップ達の目の前でドクター・ドルイドの喉元を切って見せたのです。ドっと溢れ出た血は川のように体を流れ、やがて足元のムーンジェムに滴り落ちます。数瞬の後、なんと血塗られたムーンジェムが突然光り輝き始めたではありませんか。ドレッドムンドは価値を確信します。人狼化した住人のパワーをジェムに集め、更に妖しく輝く魔石を体に取り込みます。獰猛な人狼の力と宇宙から来た神秘の力がドレッドムンドの体内で融合、やがて強大な力はその姿をも変えてみせます。スターウルフの誕生です。
f:id:ELEKINGPIT:20221031023930j:imageコズミックレベルの力を内包した人狼、スターウルフ。その力で地球を征服し、人類を野生化させることで地球環境を回復させるのがドレッドムンドの計画だった。

 

〈姿形が変わっても〉

月明かりが照らす夜に起きた殺人事件から、人狼町、そして血の儀式へと繋がっていった本作。ウルヴァリンやウルフスベーンなどの意外な味方や瞬く間に人狼たちを従えるキャップといった魅力に溢れんばかりのキャラクター達が生き生きとしている事が本作最大の魅力でしょう。キャップが人狼になるという少々突飛な展開を軸に進むストーリーですが、その芯は王道そのものでした。

本作では何度も「束縛」により奪われた「自由」という描写が何度もされていました。森に現れた人狼を襲撃者が捕獲し、ウルヴァリンを洗脳し、人狼化したキャップは最初話すことも出来ませんでした。本作はそんな束縛から自由を取り戻す戦いだったのです。それはドレッドムンドとキャップの理念にも現れています。ドレッドムンドは、人類を野生化させることで退廃した環境を元に戻そうと考えていました。文明の発展に環境汚染が伴うならば、文明に囚われた人類を解放することで地球環境はいつしか元のように戻ると考えたのです。文明の元に生きる我々は、例えば時間や対人関係など様々な束縛の元に生きています。人類の野生化はそんな束縛をなくし、更に人種や国境のような境界線をも取り払います。何にも縛られることなく本能のまま生きることが出来るのです。しかしそれは自由なのでしょうか? 自由とは好き勝手することではありません。自由とは自らを律する責任を持つということです。冒頭の殺人事件がその適例でしょう。人と出会った時、私たちは究極的には2つの選択肢が現れます。その人を殺すか殺さないか。当然ほとんどの人が殺さないを選択するはずです。自らを律することで殺人が非道徳的だと理解し、殺さないという選択をするのです。これは個人の道徳観や倫理観という束縛から行動しているとも言えますが、それこそが自由なのです。一方冒頭の殺人事件は人狼によるものでした。野生化し、あらゆる束縛から解き放たれた人類は通りすがりの人をも容赦なくなんの理由もなく殺すことさえ出来るのです。つまり、道徳観や倫理観という束縛をなくすことでその都度好き勝手行動しているのです。しかしそこに自由はあるのでしょうか? 人狼(=野生化)とは、そもそも人を殺す殺さないという選択肢が存在したかすら分かりません。意志を奪い、行動を選ぶことすらできなくなっているのです。地球の環境汚染は確かに誰もが無視できない問題として捉えています。しかし人類の野生化は、そこに「律」を失くすことで意思を奪うという最大の束縛が待っているのです。