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MARVELやSTAR WARSなどのアメコミを、ネタバレ有りで感想を書くブログです。更新頻度は気分次第。他にも読みたいものを気まぐれに

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UNCANNY X-MEN(2012) vol3 THE GOOD, THE BAD, THE INHUMAN

テロリストとして指名手配され、過酷な道を歩むサイクロプス率いるX-men。しかしだからこそ、厳しい訓練や日常に癒やしを求めることは必須です。今回はタカ派X-menの、ちょっとした箸休め回です。
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〈あらすじ〉

新たにキティ・プライドを加えたX-men。しかしミュータントへの風向きは辛く、それに耐えるため過酷な訓練が生徒たちへ課された。一方、世界はテリジェンミストに覆われ新たなステップへと進みつつあった。

 

〈訓練と日常〉

Battle of the atom編を終え、新たにキティ・プライドやオリジナルX-menの一部を加えたX-men。その体制は少しずつ盤石なものになっていることでしょう。ならば今こそ必要なのが、過酷な訓練です。サイクロプスは生徒たちへいつも通り過酷な訓練を課していました。ミュータントという種族への風当たりはより強く、過激な人間も少なくない。そんな世界でX-menとして戦い抜くならば、生半可な強さでは足りないのです。一方生徒たちは、こんな世界だからこそ年相応な「普通」の暮らしを求めました。そこで教師陣を誘い、外へショッピングに出かけます。お金は富豪であるエマ・フロストが出してくれました。有名なショッピング街で好きなように買い物を楽しむ生徒たち。1日の最後は腹を満たして心も満足といきましょう。そんな時です。サイキッカーが外の異変を感知しました。何が起きたのか? 外は文字通り異様な空気に包まれ、群衆の中心には大きな繭のようなものがありました。サイキッカーらが何が起きたのかを調べ始めます。周りに漂うのはテリジェンクラウド。これを吸って、適正のあった人々が世界中でインヒューマンへと覚醒しつつあったのです。
f:id:ELEKINGPIT:20240312115408j:image覚醒するインヒューマン。しかし助けようとしたX-menへ向けられたのは差別と憎悪だった。

 

学園に戻ったX-men。日常を満喫したところで、生徒たちはまた訓練に励む日々が続きます。次なる訓練は突然行われました。今度の訓練の舞台は、なんとサベッジランドです。古代の原始生物が暮らすサベッジランドは、恐竜など太古の危険な生き物が生息するレッドゾーン。ここで生活するだけでも命がいくつあっても足りません。突然サベッジランドに連れられた生徒たちの反応は様々でした。果敢に立ち向かう者もいますが、当然困惑し動かなくなってしまう者も。危険生物が多く住むこの島で、生徒たちはどのようにサバイバルするのでしょうか? ところが、訓練は突然中断されます。命懸けで生き抜こうとした矢先、なんとSHIELDが生徒たちを包囲していたのです。きっかけは生徒の1人が携帯を使って救出を試みようとしたことでした。これにより電波の発信源を辿られ、サベッジランドにいることが特定されたのです。ミュータント革命を目指すサイクロプスX-menは指名手配をされています。このようなちょっとした油断が逮捕へとつながってしまう。綱渡りの生活を送っていることを生徒たちは身を持って知ったことでしょう。ここで訓練は中止。生徒たちは学園に戻されます。
f:id:ELEKINGPIT:20240312193311j:imageSHIELDに包囲される生徒たち。世界は過酷で残酷なのだ。

 

〈休息〉

本作はX-menの日常を描いた箸休めのような回でした。しかしこれを、単なる箸休めとして終わらせてはいけません。サイクロプスはミュータントと人類の平和的共存というエグゼビアの夢を引き継いで、新たな学園と新たなX-menを率いています。その裏と影には常に「差別」がつきまとうのです。年相応の「普通」の生活を送ることさえ、憎悪ばかりを向けてくる世界では厳しいことが分かるでしょう。本作のショッピングは、私達が当たり前のようににできることに憧れる子どもたちの姿が印象的でした。そんなことさえ差別される側の人間は憧れなくてはならないのです。振り返って、私達の生活にも目を向けてみましょう。差別されるかもしれないと考える人々は、当たり前のように買い物へ行くことも難しいでしょう。例えば午後3時頃にサラリーマンがスーパーマーケットへ行くと、少し居心地の悪さを覚えるはずです。自分以外にそういった人間は少ないのですから。これを強烈にしたのが被差別者の日常だと考えられます。この居心地の悪さを強烈にした、差別者の無意識の憎悪を無くさねば、差別者と被差別者の日常には大きな隔たりができてしまいます。ではどうすればよいか? 私達は、差別者であり被差別者です。無意識の差別的感情は本人が認識することのない仕草に現れてしまいます。だからこそ、相手を1人の人間として接することが何よりも大事なことでしょう。たったこれだけで差別はグッと減るはずです。